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〜佐藤三昭・第二童話・短篇小説集「ゆめのまたゆめ」刊行のお知らせ〜

〜第二童話・短篇小説集「ゆめのまたゆめ」刊行のお知らせ〜
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本日より、ご予約の受付を開始させて頂きます。
(メール・FAX・TELにて)
ご興味をお持ちの方は、どうぞ下記のURLをお尋ねください。
あなたさまのお手元にお届けできますよう願っております。
詳しくはこちらをご覧いただけましたなら幸いです。
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− 作品に寄せて −(抜粋)  藤 岡 宏 章 (書家)

三昭さんの作品からは、どこか「賢治さん」(宮沢賢治)の香りがする。
賢治さんは「あらゆる自然の力を用い尽して諸君は新たな自然を 形成するのに務めねばならぬ 諸君はいま この颯爽たる諸君の 未来圏から吹いて来る 透明な風を感じないのか」と書いているが、三昭さんはその「風」を感じている一人である。
 自然と人との融合。擬音、擬声、擬態を散りばめながら擬人を用いた人間世界の表出。農と民とその地に根ざす芸との関わり。季節の映像を背景とした素朴な中にも息遣いを感じる人の営み。本来だれもが持っているが成長とともにいつしか消えてしまう宇宙観。どこかほのぼのしていたり、甘酸っぱいようであったりしながら、でもせつない。そんな風が読み人の頬を撫でていく。
 三昭さんの作品には、三つの詩集そして第一童話集もそうだが、必ず取り上げている世界がある。「生」というものをどうとらえ考え、そして「死」とどう向き合い受け止めていくか。それぞれの境遇の中で様々なありようがあることを前提としながら、「一人の人として考えてみようよ」と投げかけている。
 このような作品との邂逅は、私たちに人としての、さらには自然界に生きるものとして「あたりまえの中にある幸せ」とは何かを改めて考える機会を与えてくれる。

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− ゆめのまたゆめ −(抜粋)  佐 藤 三 昭(著者)

 夢をみる。
 例えばそれは、心がサムエル・ウルマンの青春の風景を歩いているとき。未来に実現させたいという願望。思い描く希望が向かう。
 例えば、心が自らの体を離れて白秋の風景を俯瞰しているとき。寝ているときに導かれる観念や心像。記憶と想像が絡みあう。
 どちらも夢をみている。
 よく問われる。あなたはなぜ音楽や物語を作るのか、作ることができるのかと。しかし私はその答えを持ち合わせていない。日々歩む道は、希望と迷いの中にあり、訪ねても袋小路に突き当たる。
 例えばそれは、ふたつの夢。心と体がひとつの自分と、心と体でふたつの自分。意識上と意識下のふたつの夢の結合。それが私のそれでしかない。
 例えば、夢のまた夢。自分が辿り着いたのか、何かに導かれたのか。その空間に居合わせてしまった自分を描く。なぜ音楽や物語を作るのか。私は、曖昧で唯一のこの方法しか、持ち合わせていないのだと気付く。
 夢に見ることと、夢を見たこと。それは憧憬と警鐘と対峙。私が描こうとするのは、それらを結合し凝縮させていこうとする希求なのかも知れない。
これらの物語は、そんな「ゆめのまたゆめ」である。わけのわからないところや幼稚なところもまた私自身。そのような夢の話をここに遺そう。  

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